長野。

ライターの西川栄明さんからお知らせを頂いて、松本で行われたウィンザーチェアの講習会に日帰りで行ってきました。

一番の目的は、長野の上松技術専門校のにいたときの恩師、三宅先生にお会いする事でした。現在は長野県工業技術総合センターにおられます。

毎日夜9時まで作業に付き合って下さって、本当に勉強させて頂きました。

当時、モノを作る経験の無かった自分は間違いなく20人中最下位からのスタートで、一人だけ枡の組み手を提出する事ができなかったことを強く覚えています。

卒業の試験では、出来上がるのが早すぎて、出すのが何となく恥ずかしくて、ずっと鉋を研いでて2番でした。

 

講習会には呼びかけた同期の方も来てくれて、すごく懐かしい話が出来ました。遅くまで頑張ってた仲間は独立した人も多く、三宅先生が言われていた、「独立できる人間が、不思議と固まる年がある」と言われた、最も当てはまる年だと思います。

鈴木さん、務台さん、九里さん、お会いできて嬉しかったです。

来られなかった犬塚さん、中島さん、頓田、下島さん、鶴さん、山田さん、浅原さん、かなり遠いけど、また機会があればお会いしましょう。

 

上松はお店が6時には閉まるので買い物に苦労したし、50年に一度くらいの大雪に当たったり、家の前の養蜂の巣箱がクマにめちゃくちゃにされてたり、休日のスクラップ工場のバイトや携帯液晶ガラスの深夜バイトなど、いろんなことを経験しました。

猿に柿を投げられたり、かなりでかいイノシシやムササビも初めて近距離で見ました。

 

モノは人の投影で、どのように生きて来たかが表れるものだと思います。家具職人は、特に最初は生きるだけで精一杯ですが、そこでどれだけ腐らずに頑張ったかが、作品に投影されると思います。

上松で三宅先生や皆に出会わなかったら、また「深み」が違っていたように思います。

 

 

100名程いた会場には若い参加者も多く、よく言われる「担い手がいない」といったことは一切感じませんでした。

家具職人という職業は、どれだけ輸入に頼る時代でも、質感を理解できる人が少なくなっても、無くなることは絶対にないと思います。

ただ、キッチンやキッチンバック棚に特に多いのですが、大手国内メーカーが中国も最近は人件費が高くて、中国以外の国に拠点を移して質も材料も落とした上で国内産であるかのように売る時代なので、職人の数はすごく少なくなっていく現実はあります。

自分が買う側であった場合をいつも考えて、偽る必要のないものを作れればと思います。

 



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